とある松屋の店舗で行われている新人アルバイトの接客トレーニング。場所は店内、ではなく奥にある二畳ほどの休憩スペース。椅子に腰かけたアルバイトスタッフが頭に装着しているのは、ヘッドマウントディスプレイです。
松屋フーズは2019年、社内VRプロジェクト「MaVROS(Matsuya VR Operation System):マブロス」の第一弾の取り組みとして、接客トレーニングにVRを導入した画期的な研修コンテンツを開発、一部店舗にて先行運用を開始されました。接客トレーニングにおけるVR活用のポイント、テクノロジの活用で同社が目指す人財育成の方向性とは? インタビューには実際にVRコンテンツ制作に携わった株式会社積木製作にも加わって頂き、貴重な開発裏話もお聞きしました。
- 株式会社松屋フーズ
- 首都圏松屋カンパニー 地域担当部長 富澤秀樹様(右)
- 事業推進部 店舗支援トレーニンググループ チーフマネージャー田中雅也様(左)
VR導入の背景
- アルバイト向け接客オペレーションを体感的に学べるツールを導入したい。
- OJTの質を均一化したい。
VR活用におけるポイント
- 松屋の複雑な接客オペレーションを再現したVRトレーニングコンテンツを開発。
- アルバイトスタッフの興味を惹き、いかに能動的に取り組んでもらうかに主眼を置いたVR開発を行った。ポイントは以下の3点。
1)正しい動作や目線、発声にゲーム感覚で取り組める判定機能
2)ヘッドマウントディスプレイを装着するだけで、座ったままでもリアルに体感できるコンテンツ
3)仮想空間の中でも迷いなく、かつ能動的なアクションを促進するナビゲーションやナレーション
- 各店舗のトレーナーが経験に基づいて判断していた部分を標準化することで、OJTの質の均一化も実現。
- 全国1170店舗での導入を進めるほか、今後は調理やクレーム対応、社員研修などへのVR活用も視野に入れている。
動作や目線、発声まで“自動判定”。お客様にとって「気持ちのよい接客」を標準化
今回導入されたVRトレーニングですが、これはどういったものですか?
田中様:新しく入ったアルバイトスタッフが最初に覚える接客オペレーションを、実際に実践できるVRコンテンツです。お客様が来店されたときのお声掛け、お冷を準備し、注文を取り、丼ぶりがセットされたトレーをお席までお持ちする時の動作、そうした一連の流れを、ヘッドマウントディスプレイを装着した仮想空間の中で一つひとつ実践しながら学ぶことができます。
これまでは新人アルバイトの接客トレーニングはどのように実施されていたのでしょうか。
富澤様:これまでは実際の店舗でOJTをしていましたが、接客経験のない高校生や日本語が不慣れな外国人の方などはいきなり現場に入ると驚き、委縮してしまうことがありました。接客の流れは、あらかじめマニュアルを見て頭では分かってはいても、実際に実践するのとは違います。知識のインプットという面では、以前作って頂いたeラーニングや電子テキストで確実に効果は出てきていましたが、次のステップとして、“実践を体感できるようなもの”を何とか作ることができないかと考えました。
さらには、店舗の状況や人(トレーナー・トレーニー)に左右されない、OJTの質の均一化も課題でした。誰が受けても「正しい接客、正しい動きというのはこれなんだ」と分かるようにするためにはどうすれば良いのか。そのひとつの答えがVRでした。
なぜ、VRだったのでしょうか。
富澤様:VRを使えば、テキストや動画で覚えた知識を、リアルに近い環境で実際に体験することができます。正しい動き、感覚をVRで体に刷り込ませることができるのならば、効果が高いのではと考えました。
テキストでは伝え切れない正しい動作、感覚をVRに載せるため、どんな工夫をされましたか?
田中様:『判定』の仕組みを組み込みました。一つひとつの動作はもちろん、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」などの声掛けの大きさや速度、目線に対して、定められた基準に達しているかを確認し、クリアできなければ前に進めないという、ある種ゲーム性を取り入れました。
動作や目線、発声など、お客様にとって気持ちのよい接客になるかどうかの重要なポイントを自動判定。クリアしないと前に進めない仕組みだ
私も体験しましたが、思った以上にお腹から声を出さないとクリアできませんでした。研修ということを忘れて思わず夢中になってしまいますね。
富澤様:しっかりと声を出す、大きな音を立てないようそっと丼ぶりを置く。これらは多くのお客様が気にされるポイントであり、お客様にとって気持ちのよい接客になるかどうかの重要なポイントです。そういった点についてはしっかりと『判定』をし、ある種ゲーム感覚で取り組んでいるうちに、いつの間にか声を出せるようになった、正しい動作ができるようになったという流れに持っていくことが狙いでした。
企業研修に適したVRとは? 前例のない「接客VR」開発の裏側
実際のVRは積木製作様に制作して頂きました。コンテンツ開発はどのように進められましたか?
赤崎様(積木製作):店舗の写真と図面を頂いて、それをもとに3次元の店舗を立ち上げ、まず各シーンを作っていきました。その後、接客マニュアルを確認しながら、お店での動作を付けていくという流れでした。
田中様:VRについては詳しくありませんでしたが、少しずつ出来上がってくる3Dのお店を見て「ここまで表現できるのか」と正直驚きました。VRのお店は本社の下にある三鷹店を再現していますが、知っている人であればひと目で「三鷹店だ」と分かるくらいリアルなんです。
赤崎様(積木製作):弊社は元々建築分野のCGを専門にしてきましたので、そういった表現自体は得意ではありますが、ただ今回は開発を始めたときに、今回導入を予定していたヘッドマウントディスプレイがまだ発売されていませんでしたので、そこに対する調整は必要でした。
富澤様:今でこそヘッドマウントディスプレイ単体でVRを体験できますが、一番最初に積木さんのオフィスで試させて頂いたときは、複数の機器と、それから部屋もある程度のスペースが必要でした。ですが、我々の店舗は事務所が狭く、1~2人が座れるかどうかというお店も多いんです。ですから、「座ったままでもリアルに体感できる」という矛盾するような要件を満たすことが重要でした。接客マニュアルをどのように細分化し、座ったままでもうまく体感できるようにするか。いかに費用対効果を上げてアルバイトの興味を惹き、能動的に取り組んでもらうか。ここが最大のポイントであり、大変だった部分です。
積木さんの方でも難しさはありましたか?
赤崎様(積木製作):今回に限らずどのお客様にも共通することですが、最初は「できるだけリアルにしたい」というご要望を頂くことが多いんです。リアルな世界というのは、例えば目の前のこの携帯を手に取れるなど、自由度が高いということです。ですが、自由度が高ければ高いほど、いざ仮想空間に入ったときに「自由すぎて何をすればいいか分からない」という風になりがちです。リアルでありながらも、誰もがぱっと入ったときに迷いなくできるようなVRが、企業向けの研修ツールとしては向いてるのではないかと思います。
ちょうどいいリアルさが求められるんですね。具体的にはどういったことを工夫されましたか。
赤崎様(積木製作):次の動作対象となる物や場所を指し示す矢印などを入れています。現実世界では矢印が出ることはあり得ませんが、VR内では一つひとつのシーンでこうした分かりやすいナビゲーションを付加し、誰もが迷いなくできるように仕上げていくというのが、時間としては掛かったところです。
ナビゲーションという意味では、VRには全編にわたって適度なナレーションも入っていますね。
田中様:ナレーションの長さや出るタイミングにもこだわりました。どうすればスムーズに発声したり、動作に移れるか、使う側の気持ちを考え、場面によってはナレーションなしでカラオケのように字幕を出したりもしています。
VR環境の中で迷いなく、かつ能動的なアクションを妨げないよう、ナビゲーションやナレーションに細やかな工夫がなされている
開発から導入に至るまで、弊社営業担当の対応はいかがでしたか。
富澤様:プロジェクトがスタートしてからも、松屋の複雑な接客の動きを果たしてVRで再現できるのか、指や目の動きまで体現できるのか、店舗ごとに店の形状が違う中で一定の答えを標準化できるのかという葛藤はありました。なにしろ前例がなく比較対象もありませんでしたから、ある程度形になったプロトタイプに対して、「これはいい、これはダメ」「ここはもっとこうしよう」と、本当に手探りでの取り組みでした。そのような中で、デジタル・ナレッジさんは本当にこまめにやり取りして下さり、実際にVRを制作してくれる積木製作さんというパートナーもすぐに紹介して頂いたおかげで、誰もやったことのない取り組みが比較的早く形にできたと思っています。前回の取り組みの頃から、多大な時間をかけて我々の考えや接客の流れなどを理解して頂いてきたからこそ、今回のVR開発がスムーズに進み、またいいものができたのではないかと思います。
教育研修におけるVR活用の課題
一方で、研修におけるVR活用の課題は何でしょうか。
富澤様:ヘッドマウントディスプレイは長時間使うことがなかなか難しい部分があります。長くても20分くらいでしょうか。
田中様:私自身もVR体験中に酔うような場面がありました。
富澤様:そういった意味では、ヘッドマウントディスプレイを装着できる限られた時間内にどれだけ凝縮した教育内容を提供できるか、その設計が一番の課題と言えるかもしれません。
20分なら20分の中で、どこにポイントを置き、何を体験させて、どこを教育のゴールとするかということですね。
富澤様:その通りです。営業側も、必要な機能や教育内容をよく見極めて開発側に伝えていかないと、機能は多いが実際は使えないということにもなり兼ねません。これは教育プログラムを作るこちら側の問題になってくるかと思いますので、私たちの方でしっかりと精査していく必要があると思います。
国内初(※)の接客VRは外食産業に何をもたらすのか。松屋フーズが目指す人財育成とは
VRトレーニングの今後の展開予定をお聞かせください。
田中様:首都圏の数店舗に一台ずつヘッドマウントディスプレイを配布し、実際にVRトレーニングを始めています(注:2019年8月現在)。今後は、牛めしの松屋やとんかつ業態を含む、全国1170店舗で導入を進めます。日本語のほか、ベトナム語、中国語にも対応していますので、昨今増えている外国人スタッフへのトレーニングにも活用していく予定です。さらには、接客だけでなく、調理やクレーム対応、社員研修など、さまざまな用途にVR活用を広げていくことも検討しています。
国内初の接客トレーニングVRとなる今回の取り組みは、外食や小売の人財育成にとって大きな変換点ともいえると思います。VRは松屋フーズの人財育成にどのような変化をもたらしそうですか。
富澤様:松屋フーズが進めるVRプロジェクト「MaVROS」では、VRによる実践トレーニングの実現に留まらず、能動的に学び働ける仕組みをVRで実現することを目指しています。VRを使えば、研修やOJTも「言われたからやる」ではなく、「楽しいから能動的に取り組んでいたらいつの間にかできていた」というように変えていけるかもしれません。研修にVRを導入する動きは今後加速していくと思いますが、その中でも松屋フーズは、“VR活用で教育をいかに進化させることができるか”まで追い求めていきたい。VRをうまく使いこなすことができれば、今までの店舗トレーニングの概念や人財育成そのものも、少しずつ変えていけるのではないかと期待していますし、これからもデジタル・ナレッジさんとコミュニケーションを取りながら、前例のないものを作り上げていければと思っています。
(※)当社調べ
ご利用いただいた製品・サービス
お客様情報
会社名 |
株式会社 松屋フーズ |
創業 |
1966年(昭和41年)6月 |
設立 |
1980年(昭和55年)1月16日 |
本社 |
東京都武蔵野市中町1-14-5 |