漫画・アニメから最新技術と教育の在り方を考える~その①?~

By | 2018年2月28日

先週末、引越をして筋肉痛が続いているトレパ「室長」・岡田です。

筋肉痛が翌日に出てくれて、密かに喜んでいますw

 

さて、引越となると、本棚にある本を段ボールに入れる際に、ついつい懐かしい本などを読んでしまいますね。作業時間の何割を割かれたのだろう…と考えると精神的にダメージが大きいので考えないことにしますが、改めて考えさせられたのは、「漫画やアニメって侮れない!」ということです。

ブームの後かもしれませんが、『ソードアート・オンライン』をアニメで見た時も、『アクセル・ワールド』を見た時も、VR(バーチャル・リアリティ)の可能性について考えさせられました。

没入どころか、脳内に直接的に信号を送ることでバーチャル空間でゲームを行うという発想ですが、そのリアリティだけではなく、オンラインで複数の人たちがつながってコミュニケーションを行うことが可能というところがポイントです。

これは、元ネタとしては、ハーバード大学の教授だった哲学者ヒラリー・パトナムの「水槽の中の脳」の議論であり、映画『マトリックス』にも転用されている思考実験です。私たちは日々さまざまな体験をしていが、実はマッドサイエンティストによって水槽の中に入れられた脳だけの存在で、脳に電極を埋め込まれ、機械的に送り込まれる電気信号によって「感覚を与えられている」存在だとしたら、どうする? という議論です。※興味がある方は、翻訳がありますので、ご一読ください。

 

brain_nou_suisou_denkyoku

 

私が、これらの漫画・アニメ・映画から考えさせられるのは、このような環境が人間に与える影響です。

例えば『アクセル・ワールド』。

主人公たちは、常人では考えられない反射速度の世界を体験することができます。※詳しくは原作を見ていただきたい。

「ブレイン・バースト」というバーチャルな世界では、通常の1000倍の思考速度になります。簡単に言うと、通常の世界では1分の時間しか流れていないのに、「ブレイン・バースト」のプレイヤー達は約1000分の時間を体感します。

1000倍かどうかは知りませんが、私自身、以前車に轢かれそうになった時、周囲がスローモーションのように感じた(=自分の脳内の反射速度が一時的に向上した)体験をしたことがあります。つまり、思考が何らかのきっかけで加速化することは「ある」と思うんです。

 

しかし、一般的にはなかなかそうはいかない。それは、人間に「身体」があり、身体的な敏捷性はいくら鍛えても常人の数十倍にはならないという理由ではないかな、と思っています。歩く速さは、個人差はあっても想定内ですし、その速度で歩く限り、常人の数十倍の反射速度を必要とすることがありません。

逆に言うと、本当に神経そのものや脳と信号のやり取りができる技術が生まれたら(そのような実験は既にありますが)、本当に「思った通りのコミュニケーション」が実現するのかもしれません。そうなれば、今までのアウトプット、つまり「発声」や「文字入力」などの煩わしさからすべて解放!みんな、Happy!になれますよね!

 

今までは、唇や舌を数十倍の速さで動かすことができなかったので諦めていた「超高速発話」が、脳内直結コミュニケーションで実現する未来!あなたも今日からコンピューター並みの処理速度を!

 

…って、本当にそうなのでしょうか?

 

ちょっと回り道に思われるかもしれませんが、ここで改めて、受信デバイスとしてのVRゴーグル、入力デバイスとしてのAIスピーカーを取り上げて考えてみたいと思います。

このブログを読まれている方は、VRをどの程度体験されたことがありますか?

私は、VR体験が大好きで、テーマパークにも行きます。そこでバンジージャンプのVR体験をしたことがあります。あれ、かなり怖いですよw まず、体験する前に「何があっても、関知しないですよ~」という誓約書にサインさせられます。本当に落ちる気持ちを味わいます。夢ですっごく深い穴に落ちる夢を私はよく見ていたのですが、あの落ちる感覚!それをそのまま感じることができます。悪夢から覚めた時のあの動悸と冷や汗。

そんな体験をしていたので、デジタル・ナレッジの研修合宿の一コマで、本物のバンジージャンプをする機会があった時も自ら志願してやってみました!(そういうことが何故か社内行事としてある楽しい会社なのです。。)

bungee_jump

イラストの表情、とても楽しそうですよね♪

そうなんです。バンジージャンプ…

 

VRと全然違うやん???(T-T)

 

「バーチャル」と「リアル」の間には、やはり大きな「溝」がありました。

確かに、VR体験でも足は震えますし、冷や汗もかくし、バーチャルな(実質的な)「体験」と言ってもいいでしょう。しかし、受信デバイスはあくまでもデバイスであり、VRゴーグルという「デバイス」を通じて表示された情報を「目」という受信機で受け取るという複層的なプロセスが介在します。まず、物理的デバイスの「再現性」の限界があります。

また、VRには様々なデバイスを使って複数の感覚器に刺激を与えることで(例えば視覚と聴覚と触覚)、脳をだますというコンセプトですが、そこにはその人がプレイヤーとしてそのVR体験に「自ら没頭する」という何らかの心理的なコミットが少なからず存在します。(VR体験に没入できない人も多くいらっしゃいます。個人差が当然あります。)

これらの「溝」は、現段階では人間の想像力・集中力(言い換えると余計なリアルな情報を捨てる力)によって埋められている、ということだと思います。

 

最近、気になっているのは、この「溝」の存在。神経接続という発想は、この溝を埋めるための技術だと思います。一方で、この「溝」が無くなるようなコミュニケーションが出現した場合、人間や社会への影響というのは本当にないのでしょうか?

 

そこで流行りのAIスピーカーについて視点を転じてみましょう。

AIspeaker※最近、自作してみたAIスピーカーキット。

AIスピーカーについては、「使いやすい!」という声も多い中、「ちゃんと認識してくれない」という意見もあります。

ロボット・スタート社の北構さんが面白い記事を書いていたことがありました。(https://robotstart.co.jp/

 

「スマートスピーカーにhogeと話しかけたら違う単語と音声認識したから、まだ実用的ではない」的なのってちょいちょい目にするけど、その人の発話がそもそもいまいちって可能性があるかもよ。滑舌の悪さだったりモゴモゴ喋ったりとか。
パソコンのキーボードだって初めて使うときにトレーニングしたのと一緒で、どんな道具も使いこなすためには人間側がある程度のトレーニングが必要かと。スピーカー側に聞き取りやすい音声を人間側がある程度意識的に発話する必要はあると思うんです。
もしかしてコミュニケーションロボットやスマートスピーカーに対し、道具じゃない未来感を感じる理由の一つは「人間側がトレーニングしなくても使いこなせそう」という期待をするからなのかな。
そして人間側のこの期待を裏切ると「この道具は使えない」という評価をしてしまうのかも。原因のいくつかは人間側や利用環境にあったとしても。

 

唇・舌といった人間の発声器官の精度(個人差あり)の問題と、入力デバイスとしての「マイク」という複層的なプロセスが入力の「溝」を作っています。

この「溝」が「煩わしい」という発想があり、その溝を埋める努力を研究者なり企業なりがしており、そのために技術革新を起こそうとしています。

体が不自由な人を支援したい!とか、業務効率を上げたい!というレベルでの技術革新は大いに結構ですが、この「溝」が無くなってしまう時、「コミュニケーションを行おう!」という「意志」までもが無くなってしまう可能性を、個人的には懸念しています。

例えば、北構さんが指摘している滑舌の問題。「溝」がない、神経接続によるコミュニケーションによって世の中から「滑舌が悪い」という概念自体が無くなる可能性があります。この場合、おそらくは「ボイストレーナー」や「アナウンサー養成」という職業がなくなるかもしれません。教育や子育ての中から、発声というものはなくなってしまうのでしょうか。。…こうなると「歌」はどうなるのでしょうね。「この人の声が好き!」などの個性が薄れていくかもしれません。

 

個人的には、このような世界は好みではありません。

発声器官をコントロールするように、伝達デバイスのコントロールという新しい意志の働かせ方がもしかしたら生まれるのかもしれませんが、人間が人間である限り、やはり身体というものがカギになるような気がしています。

身体とデバイスというものの間に「溝」があることが、トレーニング機会を生み、人間らしい「意志力」を鍛えることになるのではないかと思います。

 

私たちは、AIトレーニングツール「トレパ」というサービスを展開していますが、自動翻訳機能と異なり、トレーニングツールとしては何でもかんでも自動化してストレスのない状態にすることは本道ではない、と思っています。よく、自動翻訳機能が発達すれば英語学習も不要になる!などを言う人もいますが、英語を話すということの中に「伝える意志力を鍛える」「相手の背景知識・文化を重んじる」など明確に箇条書きにできないような能力・資質が必要だという視点が欠落しているように思います。スーパーで買い物するレベルの英会話をしたいのか、恋人に本心を伝えるために英会話をしたいのか、政治的駆け引きのための英会話をしたいのか…同じレベルで語られるものではありません。また、英語を使えればいいという「ユーザー」目線と、英語の「学習者」目線の混同がされている可能性があります。学習者にとってはハードルがなければ学習する意味がなくなるのです。

 

いつの時代もそうですが、新しい技術が普及した時、それを「使いこなす」ための「意志力」は持ち続けないといけないのかもしれませんね。シンギュラリティの議論も、人間の能力をAIが超える、というよりは、人間がAI技術の前で「意志力を発揮しなくなる」ことへの警告も考えていかないといけないのかもしれません。

このテーマは深いものだと思いますので、継続して考えていければ。

 

■関連情報

①トレパ公式サイト(トライアルも申込ができます。) https://torepa.jp/

②【3月10日】AIによる英語トレーニング教材制作ワークショップ~英語指導につかえるコンテンツを考え、つくる!~
③AINOWへの岡田の寄稿文 http://ainow.ai/2017/12/15/129360/

④トレパFacebookページ https://www.facebook.com/torepa.jp/