皆さん、こんにちは。ヒゲです。
今朝は衝撃的なニュースから始まりました。
Appleの創業者にして前CEOのSteve Jobsが死去されました。
まだ還暦手前、56歳での早すぎる死です。
Jobsの歴史はパーソナルコンピュータの歴史でもありました。
以下、個人的な感慨こみの振り返りです。
Jobsとウォズニアックらにより誕生したApple Computer、
ガレージから手作りで作られた”Apple I”、
“Apple II”というパーソナルコンピュータにより家庭へのコンピュータの普及にノックをしました。
私が子供だったころ、パソコン雑誌でこのパソコンが取り上げられたり、通販でApple IIの互換機が売られていたのを覚えてます。
当時、日本のPCといえばNECのPC6001や8001、その後の8801シリーズが主流で、僕らにAppleが届くことはありませんでしたが、子供心に「ハイカラなパソコン」(笑)という印象がありました。
そして1984年、ビッグブラザー=おそらくIBMを仮想敵として、Appleが退屈なコンピュータに戦いを挑む伝説的なCMでデビューしたMacintoshの誕生、マウスとウィンドウからなるGUIという概念でコンピュータを簡単に使いやすく作り上げて、その後のパソコンの基礎を固めました。
決してJobsがこれらの概念をゼロから作ったわけではないですが、それを形にし、細かい使い勝手や美しさにも徹底的にこだわり、商品のレベルまで高めたことは偉業ですし大いなるイノベーションだったと思います。
当初はとても高価で、医者やお金持ち専用マシンという感じがしました。
ただそれでは売れないのでだんだんと値段を下げ、普及に向かっていきました。
Macintoshはその後発展を続け、その使いやすさ、マルチメディア性が評価されたのか教育現場でも広がっていきました。
当時は”HyperCard”というソフトがあって、手軽にオーサリングをしてマルチメディアコンテンツが作れるというので、様々な教育関連のソフトも作られました。小中学校の先生方がハイパーカードで様々なタイトルを作っていたのを覚えています。
私が最初のMacを手に入れたのは、Macintosh Classicという一体型のパソコンでした。搭載OSはSystem6、9インチのモノクロのモニタでSuperDriveという3.5インチのフロッピーがついたものでした。
当時はすでにカラーもあったし、モニタももっと大きいのが普及してましたが、それでもこのパソコンは使い勝手が良かったです。起動時にマック君がにこやかに歓迎してくれたり、mマウスを手にフォルダを開くだけで感動しましたし、StyleWriterとあいまったWYSIWYGという世界観にうっとりさえしました。ファイルをゴミ箱に入れるとふくらみ、空にすると音をたててゴミ箱が空になったり、フロッピーをゴミ箱に入れるとイジェクトされたり、そんなUIに惚れました。まさにあれはデスクトップでした。
これまで使っていたNECのPC9801シリーズとはぜんぜん違うLook&Feel、未来を感じました。
その後1993年にMacintosh Centris 610というピザボックスのような筐体のMacを買いました。CD-ROMを搭載し、当時最新のSystem 7(日本では漢字Talk 7と呼んでました)というOSを駆使して、それはそれはすばらしいパソコンでした。当時はまださほど普及していなかったインターネットに大学にPPP接続してアクセスしたり、C言語でプログラムを書いたり、レポートを作成したりと、学生時代の私を大いに支えてくれました。
個人的にはQuickTimeでマックで動画が動いたときの衝撃が一番大きかったです。
うわ、パソコンで動画がうごいてるよ! って、ただそれだけで感動したものです。
その後PowerBookを3台、MacBookを2台使いました。今も我が家でMacbookは稼動してます。
PowerBookは今考えればとてつもなく重たいノートでしたが、作りがよくてイノベーティブで、いずれも使い倒しました。
このMacintoshの時代には、実はJobsは関係していません。
Jobsは1985年にApple Computerを追われる形で辞職、その後1株だけ保有し続ける(決算報告書を受け取るために)という関係のみに留まりました。
その後、NeXTを設立、エレガントな筐体と凝ったOSで話題を呼びましたが、商業的には成功したとはいえない状況でした。
ただ、他のOSとはまったく違う志のあるもので、一歩も二歩も先を進んだ未来のOSという感じでした。一般ユーザが使うことはなかったものの、我々は羨望のまなざしというか、先の未来から来たものを恐る恐る、興味深く見るような目で見守っていました。
ここで作り上げたNeXTのOSはその後のMac OS Xのベースとなりました。
当時の私は「JobsはMacの産みの親だし天才肌だし、コンピュータの一歩先を常に考える人だけど、幾分かわった人物だし商業的には成功しない人だよなぁ」ぐらいに思ってました。
周りに聞いたわけじゃないけど、おそらく当時の人はそういう風に思っていたんじゃないでしょうか。
もっともJobsの知名度はそんなに高くなくて、一般の人が彼を知っているというレベルではなかったと思いますけど。
Appleを離れていたJobsはコンピュータ以外にも進出、ルーカスフィルムのCG部門を買収し、PIXARを設立しました。
私はアニメーション業界にいたこともあり、様々な手法のアニメーションのひとつとして、PIXARの初期の短編”Luxo Jr.“を引き合いに出すことが多かったです。
(クリックしてYouTubeの映像を見ていただければ分かりますが、無機質的なものに命が吹き込まれ感情が描かれるのが驚異的でした)
その後のPIXARの快進撃、トイストーリーやファインディングニモなどは説明の必要はないでしょう。
CGだけで長編を作るというのは当時考えられませんでしたが、ここでもイノベーティブなことを成し遂げました。もっとも、これはJobsというより監督のジョン・ラセター(私もお会いしたことあります)の才能と情熱の賜物だとも思います。
そして、1996年ごろ、Jobsは再びAppleの舞台にカムバックします。
当時Microsoftの後塵を拝していたAppleはOSも陳腐化しており、これを刷新することを画策してました。
当時のMac専門誌はその様子を刻々と伝えていました。BeOSかSunのSolarisか、はたまたWindows NTか、そしてJobs率いるNeXTのOPENSTEPか・・・ それぞれのOSの特徴やMacOSになったらどうなるかなどなど予想記事が載り、当時はBeOSという読みが多かったようにも思います。
結果JobsのNeXTが勝利、NeXTはApple Computerに買収され、MacOS XはNeXTをベースに開発、リリースされることになりました。
そして、1997年、暫定CEOとしての復活。その後の活躍は目まぐるしく多くの人を魅了しました。
Rolling Stonesの”She’s a rainbow”と共にデビューしたiMac、
OSのひとつの完成形を示したMac OS X、
2001年、音楽をテープやMDというメディアを介さずにHDDに溜め込んで大量に持ち運ぶというiPod、
音楽や映像、はたまたアプリまでもマーケットプレースとしてシームレスにデバイスとつなげるiTunes、
音楽そのもののあり方やメディアのありかたから変えてしまう力がありました。
2007年、電話機とPCを融合したスマートフォンiPhone、
電話の再定義、スタンダードを築きました。
やがて会社名も”Apple Computer”から”Computer”を取って”Apple”に変更し、コンピュータだけでなく、様々な情報機器、サービスを取り扱うという姿勢が示されました。
そして去年、タブレット端末に火をつけたiPad、
いずれも実にイノベーティブで、皆さんも少なからず直接的あるいは間接的に恩恵を受けているものばかりだと思います。
これら製品はすべてJobsによるもの、発表のプレゼンの上手さや製品のすばらしさに魅了された人は多いと思います。
発表のたびに、ライブでJobsの発表を見ようと日本で眠たいのをこらえて見守る人が大勢いました。
私もそのひとりだったのですが(笑)
※上記商品名をクリックすると、当時のCMやJobsのスピーチが見られますので、ご興味ある方はどうぞ。
教育の世界でもJobsやAppleは大きな流れをつくったと思います。
PCで学習するという環境は90年前半のハイパーカード、その後のマルチメディアコンテンツの再生という意味でMacintoshが先鞭をつけたように思います。
また学校教育現場へのMac導入にもAppleはかなり積極的に取り組んでいました。そのため長らく教育用=Macという図式ができあがってました。
そして、去年リリースされたiPad、これを教育で活用しようという動きは今なお積極的で、iPadに限らず、様々な端末で教育への活用が行われています。これはJobsがいなければ起こりえなかった流れだと思います。
そんな偉大なJobsが5日に死去しました。
Apple社員はもちろん、Appleユーザ(一部に林檎信者ともいいますが)、その他多くの方に悲しみとぽっかりと穴が開いたような喪失感を与えてます。
一企業の創業者でここまで惜しまれるというのは、そうそうあることではないと思います。
個人的な話題をさせていただくのをお許しいただくとして、このJobsの死去に触れ、私は非常にショックを感じております。
癌、臓器移植、その後の体調不良、先日のCEO辞任など、昨今のJobsを取り巻くニュースからすると、そう良くないとは分かっていましたし、いずれはと思ってましたが、いざその訃報に接すると、とてつもない衝撃と悲しさでした。
これは、私にとって、高校時代にジャズのトランペッター、Miles Davisが死去したときと同じぐらい衝撃的です。
Milesもジャズに様々な革新を起こした人でした。ハードバップ、クールジャズ、モード、フュージョン、エレクトリックなど、新たな境地を開拓し続けた人でした。
Milesは数多くのミュージシャンと競演し、彼と競演した人たちの中からはその後のジャズジャイアントになるような人物もたくさん輩出しました。ジャズのうねりの中心にいるような人物でした。
私は彼のミュートのトランペットが大好きで、高校時代は彼のレコードを聴き倒し、トランペットを練習してコピーしたりしていました。私にとって、彼はヒーローだったのです。
そんなMilesが亡くなったとき、私はすごくショックで悲しかったのです。
ああ、これでジャズはおしまいだ、とさえ思いました。
Jobsの死、これも私にとってはMilesの死のようにとても大きい悲しみと喪失感を味わってます。
ただ、これは終わりではない。
彼の成し遂げたこと、彼から貰った多くのことをわれわれは理解し、
一歩一歩、未来へ歩みを進めるべきだろう。
最後に、One More Thing…..
Jobsの2005年のスタンフォード大学の卒業式のスピーチが残されています。
人生観やこれまで彼の成し遂げたこと、死の意識、自身の信念など、
普段のJobsからは聞くことのできない名スピーチです。
我々もJobs大学卒業ということで、このスピーチに耳を傾けようではありませんか。
ご冥福を心よりお祈りいたします。